2013年6月13日木曜日

森博嗣「小説家という職業」を読み、考えたこと

インプットとアウトプット
森博嗣はインプットとアウトプットをしないといけない的なことを言っていた
しかし、一般人というのはそのインプットが不十分だからこそアウトプットもしないのだろう

「インプットばかりしていると、どうしても満腹になる。だから消化をして、運動をして、エネルギィを使わなければならない。
(中略)
一度読んだらストーリィを忘れることはまずない。あるとしたら、本で読んだことか自分の経験だったか、がわからなくなる。そのくらい本の内容を自分の体験と同レベルでインプットしてしまうのだろう。
(中略)
そういうわけで、1冊読んだら1冊書く、というのがバランス的に良いかもしれない。」
森博嗣「小説家という職業」――集英社新書 P25~27より


さて、いきなり引用から入ってしまった。
森博嗣の「小説家という職業」という新書を読んだとき、まだ始まったばかりのこの引用部分あたりで衝撃を受けた。
私は本を読む。
最近はペースが落ちているとはいえ、読むときは一日一冊、読まない時でも週に一冊は読むようにしている。というより、思わず読んでしまう。
しかし、森博嗣は、一冊本を読むたびにそれを自分の経験として取り込んでしまう、という。
自分は全くできていない。
むしろ、先の文章と同じ場所にあげられていた「読書家」と同じで、「読んだ端から忘れてしまう」のだ。
自分は、一冊の小説から十分な何かを取り込めていない、のではないだろうか。
そうやって、インプットが十分にできていないからこそ、たくさん本を読もうとするのかもしれない。


さて、森博嗣は小説家であり、大学教授でもある。
あくまで小説家は副業だ。
そして、特に小説が好きなわけでもないらしい。
小説を読むのは、多くても年に数冊と書かれていた。
しかし、年に何冊もの小説を出版している。
インプットとアウトプットが(小説だけを考えると)バランスよく為されている。
翻って、自分はどうか。
一年に読む本は少なくとも100冊は超えているだろう。
しかし、それでは何かしらの形でそれをアウトプットしているだろうか?
否だ。
バランスが非常に悪い。


この違いはどこから来るのか。
それは、冒頭に引用した文章から分かる。
森博嗣は、一つ一つのものからのインプットが大きいため、満腹になりやすい。
そしてそれを、小説や趣味(森博嗣の趣味の一つに工作がある)などにアウトプットしなければならない。

それに対して自分は、一冊の本からほんのちょっぴりしかインプットできていない。
運動をして使うほどのエネルギィも溜まらないまま、ゆっくりと消化していってしまう。
その結果、満腹になることがなく、飢え、また新たな本を求める。
これを繰り返しているだけなのだ。


書こう。
とにかく満腹でなくても書き続けて、腹を空かしたらまた本を読み、そうしたらまた書き続ける。
自分のようなものが小説を書くには、それしかないのかもしれない。

「小説家という職業」の帯には、
「毎日、時間があったら作品を書こう。ブログなんか書いている場合ではない。」
という文章が含まれた一文が書かれている。
そしてもう一文には、
「僕は処女作を書いている途中で、この物語の世界がどんどん広がるのを感じた。」
という文章もある。
小説を書くには、読むのが好きかどうかではなく、とにかく書き、そしてそこに何らかの目的や欲求を持てるかが重要なのだろう。

これからは、もっとアウトプットをしていこう。
と、自分の中では結論づけようと思う。
今年度上半期で、最も多くのことを考えさせられた読書だった。


以上。

0 件のコメント:

コメントを投稿